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    2007

11.02

スピーチ原稿

僕には父親がいません。

僕が小学校の頃、お父さんが休日出勤の時、お母さんと仕事場に行きました。でも、結局「お父さんいないみたい。今日は帰ろう。」と。

その日の夜から両親はよくケンカするようになりました。

僕が小四くらいになる頃には確実に仲が悪くなっていて、別居がはじまってすぐに両親は離婚しました。

お母さんは離婚してすぐ、新しい父親候補を連れてきました。とてもいい人で嫌いになる事なく過ごしていました。

でも、結婚を前提に付き合っている筈なのに、中学になっても会うたびに挨拶をする関係と、それを誰にも言ってはいけないという事に違和感を覚え始めました。

さらに、中二、三頃になると僕の進路のこと等を考えてか、お母さんは前のお父さんともコンタクトをとるようになりました。

昼はお父さんとご飯を食べ、夜家に帰ると違うお父さんがいる。それでも、二人は他人。

僕には、お父さんがいなくなった理由を、お母さんが平気で行使しているように見えてなりませんでした。

そこには、男女や同性の関係に対するビジョンがあまりにも狭い自分がいました。どうしても、異性に対する意識をあまり綺麗なものとして認識せず、それを排除した下での生活の中の女性という存在はとても自然で、学校でも女の子の友達の方がいました。でも、自分の中の男性という存在はその二人が占めていたので、時が経てば経つほど男女という前提のない友達との距離の取り方がよくわからなくなっていきました。

故に優しくされた時の感情の起伏のポイントが他人とは違い、同性の友達に優しくされると不安要素が先行し、溝を深める要因になっていました。それが元来の悩みでした。


今、十七年の中で一番誰とでも自然に話せている様に感じます。二年七組の全員がフィルターを自分の中に置いていることがすごく好きで、このクラスになってお母さんともよく喋るようになりました。

そんな暖かさにありがとう。

と、いう二番目のお話。
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Amaba時代
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